「真価が問われるってどういう意味?」
「真価が問われる場面を知りたい!」
真価が問われるという言葉は、日常生活の中ではあまり耳にしない言葉かもしれませんね。
ですが、この言葉は人生の価値を改めるきっかけとなる素晴らしい言葉なんです。
本記事では、真価が問われるという言葉の意味や真価が問われる場面を紹介していきます。
そもそも、真価が問われるとはどういう意味?
真価とは、本当の価値を指す言葉です。
その真価を問うわけですので、真価が問われるとは今まで価値があるか分からなかったモノの存在意義を理解できる場面という意味になります。
世の中には、常識だと教えられるだけで、あまり詳しく説明してもらえないことがたくさんあります。
とくに有名なのは、友情や愛情ですね。
「友達を大切にしなさい」
「好きな人がいる人生は素晴らしいんだよ」
未成年のときにこういった話をされても、「そんなものかな?」と思うだけのはず。
ですが、長い人生の中で、友情に救われたり、愛情を慈しんだりする場面が必ず訪れます。
たとえば、お金がなくて困っていたときに、友人が何も言わずにお金を差し出してきたら、あなたは友情の真価を目の当たりにしたことになります。
他にも、自分の子供をその腕で抱いたとき、きっと愛情の真価が身に染みて分かるはずです。
以上、真価が問われるとはどういう意味かを解説しました。
続いては、真価が問われる場面を紹介します。
真価が問われる場面5選
では、真価が問われる場面はどんなときなのでしょうか?
もちろん、歩む人生によって真価が問われるシチュエーションも変わってくるはず。
しかし、真価が問われるタイミングには、ある共通点があります。
人間は何かを手にしたときよりも失ったときのほうがその真価に気づきやすいんです。
そのことがよく分かる場面を5つほど紹介しておきますね。
はじめて人生の壁にぶち当たったとき(受験、就職など)
一般的な家庭に育った子供は、何不自由ない生活を送ることができます。
そのため、未成年ほど自分がどれほど幸せな環境で過ごしているのかが分かりません。
ですが、そんな未成年もいつかは人生の壁にぶち当たることがあります。
とくに多いのが受験や就職活動の失敗ですね。
「頑張って勉強したのに不合格だった……」
「第一志望の企業の面接が不採用だった……」
このときになって、はじめて日常の真価を知ることになります。
「1年生の頃から勉強をしていれば合格できたのではないか?」
「面接の練習をもっと頑張っていたら、第一志望の企業に採用されたのではないか?」
こういった悔やむ気持ちが生まれたとき、人ははじめて真価が問われることになります。
失敗するなら、年齢は若いほうが有利です。
失敗した分だけ学ぶことができますので、よりよい人生が歩めるようになります。
友人を失ったとき
失うものはモノばかりではありません。
ときには、友達を失うこともあります。
友人と好きな異性を取り合いになってケンカすることもありますし、借金を理由にあなたからお金をだまし取ることがあるかもしれません。
そんなとき、友達を失ったあなたはどんなことを思うでしょうか?
ここで相手に対する恨みつらみだけで終わってしまうと、あまり真価が問われるとはいえません。
本当の真価が問われることは、友達を失ったことへの悲しみだと思います。
苦楽を共にし、色々な場所に遊びにいった友人ともう会えなくなることは、とても寂しいことだと思います。
もちろん、文句の1つは言いたい気持ちがあるのも分かります。
ですが、「異性のいざこざで友達を失うなんてバカげてる」とか「騙される前に、あいつの悩みを聞いてやれなかった自分が情けない」といった気持ちが生まれたのなら、あなたにとって友情は真価が問われるものだと気づけるはずです。
学生の頃、友達から遊びの誘いがあったときに「めんどくさいな」と思うこともありますよね。 そう思ったら、今度はあなたが友達を誘ってみてください。
ですが、社会人になったら友達と遊んでいたことが懐かしく思える日が必ずきます。
きっと、お金では絶対に買えない思い出話で楽しいひとときを過ごすことができるはずです。
愛する者が去ったとき
人間の悪いクセは、大切なものほど当たり前の存在となってしまうことです。
そのせいで、ついつい大切なものをぞんざいに扱ってしまう傾向があります。
これは、愛する者にも当てはまる話だと思います。
そして、大切なものは失ったときに、はじめてその大切さに気づくことになります。
これが別れ話で済むならまだマシです。
ときには交通事故のせいで、もう会えなくなってしまうこともあるんです。
愛情の真価は、パートナーに出会ったときには強く感じますが、一緒にいることが当たり前になると、どんどん薄れていってしまいます。 ぜひ、大切なパートナーを失う前に愛情の真価を思い出しましょう。
次に真価が問われる場面が失恋したときでは、悔やんでも悔やみきれないと思います。
病気になったとき
今まで当たり前だと思っていたものを失ったとき、人間はそのものの真価に気づくことになります。
それは他人やモノばかりではなく、自分自身にも同じことがいえます。
人間は病気になることで、はじめて健康がどれほどありがたいことなのかに気づきます。
ですが、この段階ではすでに完治するのが難しい病気もあるため、ますます真価が問われる場面となりやすいんです。
私たちは日常生活の中で、自分より年上の方々の健康状態をずっと見てきています。 そのため、「適度な運動をしたほうがいい」とか「食事はバランスよく取ったほうがいい」といった常識は知っているはずです。 若者にとって、健康の真価ほど他人事に思えるものはありません。 だからこそ、自分が歳を取ってはじめて健康の真価に気づく人が多いんです。
ですが、実際にこれらの常識を守って生活している若者はどれくらいいるでしょうか?
何故なら、体が思うように動かなくなる危険性やツラさを体験したことがないからです。
災害に遭ったとき
真価が問われる場面は、人間関係のいざこざばかりではありません。
人間は、大きな災害に遭遇したときにも真価が問われることになります。
なくなるはずはないと信じていたふるさとが、たった1回の津波で一瞬にして流されることもあります。
当たり前のように使っていた電気が地震の影響で使えなくなり、一夜にしてブラックアウト状態になることもあるんです。
そういった災害の前で、私たちは1度きりの人生に対する真価が問われることになるでしょう。
ときに、人間が積み重ねてきた行動のせいで災害が引き起こされてしまうこともあります。 「地球温暖化は国がなんとかしてくれる」なんて考えていたら、いつか大きな災害があなたの前に降りかかってくるかもしれません。 ぜひ、他人事だとは思わず、今日からできることを1つずつ行ってください。
現在進行形で起こっているのは地球温暖化ですね。
そうした努力が、あなたの本当の価値を作ることになります。
まとめ
真価が問われるのは、今まさにこのときかもしれません。
あなたにとって当たり前だったものが本当に価値あるものだと気づくことができれば、世界の見え方も変わってくるはずです。
ぜひ、あなたにとって何が本当に価値あるものなのか、じっくりと考えてみてはいかがでしょうか。
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